特殊相対性理論に戻るまえに その1

雑学を収集しようじゃないか雑学
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またまた余談

量子力学を書こうとして迷い込んじゃったのが

相対性理論だったんだ

迷い込んだっていうより

『量子』ってものを知ろうと思えば

どうしても4元物理量が必要だよってアドバイスをもらったから

急遽 相対論に手を付けてみた そんな感じかな

今から思えば

無謀なことをしたもんだと思うよ

第一 4元物理量って言葉自体

実際に存在しているのかどうか疑問なんだよね

4元運動量っていうのは出てくるんだよ

運動量っていうのは ぼくの知っている初歩的な定義だと

運動している(動いていなくても)物の状態を表す量のことだね

質量×速度って ぼくでも知っている有名な式だもの

4元運動量にもちゃんと定義があるんだ

「運動量とエネルギーを相対論的な時空における

4元ベクトルとして記述した物理量である」 なんてね

ところが 4元物理量は調べても出て来ないんだよ

それどころか 『物理量』って言葉自体さえ

ほとんど出て来ないんだよね

調べてみたら 物理量っていうのは

「物理の一定の理論体系の下で……」って

条件が付くみたい

だから あえて物理量なんて言わなくて

単純に量って言葉が使われる場合が多いそうだ

まあ 言葉の使い方なんかはどうでもいいけど

とにかく 量子ってものが確率で表せられるとすれば

当然そこには時間ってものが介在しちゃう

その可能性が高いってことは間違いなさそうだから

まるで無駄ってことは無かったんだけどね

余談の余談

もう一度再確認してみよう

ぼくの興味はどこにあるのか? って

始まりはどこだったのか

あまりに昔のことだからぼんやりしているけど

とにかく他人とは違う自分ってものに

あこがれていたんだと思うんだ

そこから派生してヒーローへの考察 

ヒーローとくれば特殊能力への願望 と

中二病まっしぐらの子供時代を送ってきたってことかな

ところが ヒーローや特殊能力を突き詰めていけば

『死』ってものにどうしても突き当たっちゃう

『死』に突き当たれば当然『生』ってものに

そこまでいけばお定まりの

この世界ってなんだろう ってやつに

行っちゃうんだよね

考えたってわかるわけがない問題を考えるっていうのは

暇つぶしとしてのお金のかからない娯楽として最高

だから ひとまず

思いつくままに手あたり次第拾った知識を

書いてみようとしたってこと かな

そうやって行き当たりばったり書いた自分のブログを

読み返して再考察してみる

そのうち なんらかの新しい視点ができるかも 

なんて ご都合主義もいいところだね

だけど こうしてだらだら書いていく途中でも

なんとなく引っかかるところが出てくるんだ

だから 特殊相対性理論の振り返りに進む前に

書きながら出て来た疑問を

(なんてカッコいいもんじゃないな)

思いつくままに書いてみよう

デジタルとアナログ

ひとつは

なぜか初めから引っかかっていた

デジタル・アナログ問題

この二つの考え方は

もしかするとすべてに通じちゃうもの

なのかもしれないように思えるんだ

もっとも これも

言葉の使い方の不確実さの所為で

解釈の仕方が数多くあるから困るんだけどね

なにより ぼく自身がこの言葉をよく使う癖に

その時々でイメージにズレがあるみたいなんだよ

定義で言えば

アナログは連続した量を

他の連続した量で表示することで 

デジタルっていうのは

標本化 量子化する ってことらしい

これからしばらくは

少なくとも科学で言う『仮説』みたいに

突き詰められたものじゃなくて

ぼくの勝手なイメージを書くつもりだから 

少々無茶な話が出てきても許してほしいな

ぼく(今現在の)は

アナログとデジタルの違いは

連続しているかどうかじゃないかと思っている

う~ん わかりにくいな

写真と動画の違い? 

漫画とアニメの違い? 

小説と映画の違い?

 

どれもしっくりこないね

なんとなくなんだけど

『因果関係』を認識できるものがアナログで

『因果関係』を認識できるものがアナログで

単一で存在するのがデジタルなんじゃないだろうか

なんて これもわかりにくいかな 

量子論的に言うと 波がアナログで粒がデジタル

(真剣に研究している人からすれば怒られそうだね)

これも奇をてらい過ぎているな 

でも この考え方だと

モノの本質は波で観測すると粒になるっていうのは

納得できるような気がするんだけど

人間(他の知的生命体は身近にいないから特定しておくね)の

外部観測器官はデジタル情報しか感知できなくて

そのデジタル情報を脳に伝達する方法も

神経の電気信号というデジタル信号

ところが 人間の思考できるものは

アナログ認識しかできない なんていう

哲学・生物学上の仮説があるよね

仮説まで行かない仮定かもしれないけど

 

パースさんの言葉じゃないけど

「我々には直観の能力はなく

すべての認識は先行する認識によって論理的に決定される」

っていうのは 言い換えれば

人間は因果関係のあるものしか認識できないってことに

なるんじゃないのかな

因果関係

人間は 因果関係の無いものは認識できない

なんて パースさんの言葉を勝手に解釈しちゃったけど

一つ疑問が出てくるね

前にも少し触れたけど

『因果関係』ってなんだ? 

って問題が

因果=原因と結果

そんなふうにぼくたちは思っているけど

果たしてそうなんだろうか?

因果関係の定義みたいなものには

(あくまでも『みたい』だよ)

こう書いてある

「因果関係とはある出来事が

直接的に別の出来事を引き起こす関係」

極端な言い方をすれば

Aということが起これば必ずBという結果が出てくる

そういうことだよね

1と1を足せば必ず2になるという数学の理論と同じってこと

でも そこに出てくる例題とかは

納得できないものが多いんだよ

一番笑ったのが

雨が降れば飲食店の客足が落ちる

なんてのがあったけど

どう考えても相関関係はあったとしても

因果関係なんて無いように思うんだけど

そう この『相関関係』って言葉も曲者だね

逆に言えば相関関係って言葉が正しくて

因果関係という言葉がおかしいのかもしれない

ぼくたちが平気で使っている

『因果関係』なんてものは無いのかもしれない

もしくは 『存在』なんかと同じで

ぼくたちには理解できないものなのかもしれないんだ

物理学の学説なんかを見てみればわかるんじゃないかな

いつもぼくが書いている

「今のところ」正しい とされる仮説はあっても

確定した事実はないはずだもの

ぎりぎり 因果関係を実証できそうなものは『数学』だけど

これもあくまでも数字という言語の中での世界だからね

言語である限り 真実は導き出されても

事実は導き出せないんじゃないかな

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